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権限は委譲できても責任は委譲できない(橋本忠夫、多摩大学大学院教授)
【成分】
◆責任を委譲できるという錯覚
◆アカウンタビリティとレスポンシビリティ
◆2つのケース
◆プロジェクトマネジメントに大した権限は要らない
◆権限と責任は非対称なもの
【解説】
最近、権限委譲に伴い、責任も移動するという議論を耳にすることがよくあります。権限委譲というのは本来そういう概念ではなく、上位者が権限を部下に委譲して、責任は自分でとるという概念です。
ところが、目標管理の中では、これをやっていると収支が合わなくなります(正確にいえば、部下と同じ目線でものを考えていると合わなくなると錯覚します。たとえば、管理者が○○システムの開発といった目標を設定すると合わなくなるわけです)。そこで、部下の成果にしかならない仕事は、権限を委譲するときに、「目標」というレトリックで責任を部下に押し付けようとするので、責任を委譲するといった妙な話しになるわけです。平たく言えば、「丸投げ」です。
あえてレトリック(実質を伴わない表現上だけの言葉)と書いたのは、責任というものはそもそも、何かで移る性格のものではないからです。もちろん、動機付けとして任せて、責任を持ってやれというのはあります。しかし、それはあくまでも精神論であって、部下が失敗したら、業績責任は上司が被ることになるわけです。
にも関わらず、権限と責任を委譲するということを平然と言ってのける管理者が多いのは、ある意味で驚きでもあります。
実は、これは、責任を問われないことの裏返しでもあります。権限と責任がほぼ整合している組織があります。役人組織です。彼らは計画に対して、成果責任を問われることはありません。その是非はここでは議論しませんが、要するに誰の責任かはっきりすることができないという背景があります。
はっきりするためには、まず、成果責任(アカウンタビリティ)と実行責任(レスポンシビリティ)を明確に定義し、アサイン(割り振り)する必要があります。混同していると、結局、企画(計画)の問題なのか、実施の問題なのかと、責任の押し付け合いになるだけです。
その上で、レスポンシビリティが果たされているにも関わらず、成果が上がらなければアカウンタビリティの問題です。話しは実に明快なのです。
この考え方がプロジェクトマネジメントの考え方ですが、どうもここが日本の組織にはなじまないようです。そんな思いで書いたサプリです。
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