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◆10歳の太郎君と35歳の太郎氏
太郎の10歳の夏休み。
父親「もう、夏休みの宿題は終わった?」
太郎「自由研究以外は終わったよ」
父親「自由研究は何をするんだい」
太郎「1週間の星の観察にしようと思ってるんだ」
父親「なぜ、星の観察をするの」
太郎「担任の先生が1週間の星の観察をすればいいと思うと言ってたから」
太郎君は健やかに成長し、大学を卒業、IT企業に就職する。とりあえず、上司のいうことをよくきく、覚えめでたい社員で、順調に出世。35歳で課長になる。ある日のこと。
部長「A社のプロジェクトのスコープは決まった?」
太郎「はい、部長」
部長「どんな感じになった?RFPと大きな相違点はないかい?」
太郎「A社担当の佐藤さんはシステムをよく分かっていて、細かく要求仕様を出してくれました。このプロジェクトは私が係長のときから目をかけている井上君を担当にしました。私は細かいところはよく分かりませんが、井上君はこれなら予算、納期とも大丈夫だと言ってくれました。RFPはRFPですので、現実に受注条件をクリアできる方が大切です」
実は、この2つは両方とも実話だ。もちろん、同一人物ではないが、10歳の太郎君が健やかに成長すると35歳の太郎氏になると思った話を2つ並べて見た。
◆2つのストーリーの対比
あなたは、10歳の太郎君と35歳の太郎君の行動をどう感じるだろうか?みなさんが35歳だとすれば、10歳の太郎君は自分の子供に重ね合わせ、もっとしっかりとしろと思うが、35歳の太郎氏の行動は多少問題はあるが、おおむね、こんなものだと思う人が多いのではないかと思う(著者の研修の歳の調査による)。
2つのストーリーを対比してみよう。
星の観察=システムの構築
先生の指示=顧客の指示
という関係がある。共通して抜けているものは何か?10歳の太郎君がはっきりしているが、目的のないことである。おそらく35歳の太郎氏だと目的はあるじゃないかと思う人は、10歳の太郎君の行動「1週間の星の観察」は目的だと思えるかどうかを考えてみてほしい。星の観察も、先生の言うことを聞くことも、目的であるとは考え難い。手段、あるいは、目的実現のための目標である。
そのように考えると、「システムの構築」も、「顧客の指示」も目的であるとは考えにくい。
◆仕事の基本構造
なぜ、このような錯覚に陥るかというと、仕事の「基本構造」を理解していないことにつきる。仕事には必ず
仕事
→(生み出す)
サービス/プロダクト/・・・
→(実現する)
目的
という構造がある。目的がないものは仕事とは言わない。「作業」である。
作業と仕事の違いは、付加価値を生み出すかどうかだ。仕事は付加価値を生み出す。作業は付加価値を生み出さない。簡単にいえば、自分の給料分(部下がいる場合にはプラス部下の給料分)だけ稼ぐのが作業で、自分の作業プラスアルファを稼ぐのが仕事である。
そして、付加価値の源泉が目的である。
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