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タウンミーティングで仕込みが問題になっている。
タウンミーティングとはアメリカが「新大陸」であったころに、最初の入植地であるニューイングランドで行われた市民主導の統治方法である。タウンミーティングとは、市民が地域の問題を議論し投票するために集まるタウン集会をさす。
この統治方法の特徴は、意思決定の対象を市民自身が決めることと、投票者と市民の決断との間に仲介するものがなかったことである。つまり、直接民主制である。当然、このような形態では入植民が多くなると意思決定ができなくなるので、間接民主制に移らざるを得ない。アメリカの場合だと、連邦や連邦憲法による統治に移っていくが、タウンミーティングそのものは根強く残っているという。
この方法に注目したビジネスマンがいた。GEのジャック・ウェルチである。ジャックウェルチはワークアウトプログラムの中にタウンミーティングを位置づけた。ワークアウトにおけるタウンミーティングはニューイングランドのそれとは若干異なる。まず、タウンミーティングメンバーが問題に対する議論をし、結論を出す。その上で、統治者(イシューに対するガバナンスを持つ人)をタウンミーティングに呼び、その場でメンバーの結論に対する意思決定をする。受け入れる場合もあれば、受け入れない場合もある。この仕組みで、通常であれば2~3ヶ月かかる意思決定が1週間程度で終わる。
これはたいへんな慧眼だと思う。タウンミーティングの本質は直接民主制にあり、それは、経営組織でいえば自律組織による統治を意味する。まさに、仕組みを使う人が仕組みを改善していく仕組みとしてはぴったりである。
日本でもこれに似た仕組みはあった。分野は狭いが、QCサークルである。
さて、今回の問題を見ていると、いろいろ批判もあるが、日本では今の時点でタウンミーティングなるものをやろうとするとこういう方法しかなかったように思う。三権分立の理屈の上では、タウンミーティングは行政の仕組みとして行っているわけで、議員とは別の人たちを立てて行う。問題は仕込をどこでやるかだ。質問者に仕込みをやるのは間違いだろう。むしろ、タウンミーティングを仕切る人に仕込みをすべきで、その仕切りを国の行政機関がやっていることそのものが間違いではないかと思う。要するに、ガバナンスの問題である。
これと同じ構図はマネジメントの中にもよくある。コンサルタントとしてある企業でプロジェクトワークアウトを行ったときに、まったく同じことに出会ったことがある。上位マネジャー(統治者)がメンバーに仕込みをして、議論にならなかったことがある。組織のガバナンスとして仕込むのはかまわない。しかし、仕込みは人ではなく、文化である。
要するに民主主義の仕組みなのだ。組織のマネジメントにおいても民主化がされていないところに、プロジェクトマネジメントのような民主化を「前提」にした仕組みを持ち込んでいるところに、ガバナンスの混乱が発生している。
上に述べたように、米国における民主主義は直接民主主義から間接民主主義に変化し、その民主主義をベースにしてマネジメントが行われている。日本人が民主主義を解さないのは、直接民主主義の経験がないからではないかと思う。これが歴史なのだろう。
マネジメントの仕組みを考えるときには、このあたりをよく考えておく必要がある。
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