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中庸とは、ちょうど真ん中という意味ではなく、二つの極のあいだにある最適点である(アリストテレス)
【成分】
◆中庸とフロネシス
◆中庸の例
◆プロジェクトマネジャーはフロネシスのある決定を
◆フロネシスを求めて
◆中庸こそが、競争優位源泉になる
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【効用】
・PM体質改善
PM体質の全般に対して効果があります
・PM力向上
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・トラブル緩和
モチベーション向上
【解説】
野田佳彦首相が、首相就任前に文藝春秋に発表した論文の中に、「中庸の政治」という言葉がでてきます。中庸という意味は、2つあります。一つは自然な日本語として意味で、バランスが取れていることを意味しています。テレビで評論家の意見を聞いていると、この意味で解釈している人が多く、1億総中流という、今になっては懐かしい社会の再構築をイメージしたようです。
確かにこの意味もあるとは思うのですが、中庸にはもう一つ、意味があります。それは中世において哲学者の代名詞であったアリストテレスが使った中庸で、二極の中間点ではなく、最適点だという意味です。
日本人の考える中庸はもともとそのようなものだったと思います。工学で僕の尊敬する先生から、「白黒をつけるのに困ったら、赤を見つけろ」と教わりました。なぜ、青ではなく赤かという理由はここでは書きませんが、要するにグレーではだめだということです。これは、まさに、アリストテレスのいう中庸です。
しかし、この10年位、意思決定の方法は急に米国化が進み、中庸は単なる中間点(グレー)となり、そこを目指すことはなくなりました。みんなが、よい方の極を目指し、結果として二極化してきたわけです。
改めて考えてみると、ビジネスにおける日本企業の強みは、中庸にあったように思えてきます。その典型が学歴です。
多くの企業で学歴は出世に影響を与えますが、米国社会のように、低学歴で単純作業に従事する、高学歴でインテリジェンスの高い業務に従事するという発想はあまりなかったように思います。つまり、学歴の低い人も高い人もいて、それは処遇上の差はあるにせよ、全体として目指すところはアリストテレスのいう中庸だったように思います。それを一言でいえば、「能力に応じて働く」ということではないでしょうか。
僕が会社(研究所)に入ったときに、中卒の博士という方がいてびっくりしたことがありますが、まさに、中庸の極みですね。
このように考えてみると、社会も、会社も、懐古主義ではなく、新しい目標として中庸を掲げてみるというのはよいのではないだろうかと思った次第です。
アリストテレスの中庸の概念の中心は「フロネシス」です。日本の経営学者でもこの概念に注目されている方がいらっしゃいます。野中郁次郎先生です。野中先生は、フロネシスを、賢慮(PRUDENCE)、実践的知恵(Practical Wisdom)、倫理(Ethics)といった要素に分解され、これらを持ち合わせたフロネシス型リーダーがこれから重要だと指摘されています。
プロジェクトマネジメントにも、この中庸の概念を持ち込むといいのではないかと思って書いたサプリです。
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