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プロジェティスタという考え方が注目を浴びている。きっかけになったのは、この本だ。
野田 稔+ミドルマネジメント研究会「中堅崩壊―ミドルマネジメント再生への提言」、ダイヤモンド社(2008)
プロジェティスタはイタリアで存在している職業で、一言でいえば、中小企業がプロジェクトを実施するときに、そのプロジェクトマネジメントを引き受ける。これにはイタリア独特の背景がある。イタリアでは、95%以上の企業が従業員9人以下という中小企業で、中小企業の輸出比率は60%に達する。イタリア企業の全体としての強みは、各企業間で縦横に張り巡らされた水平ネットワークであり、ネットワーク環境で活躍し、ある意味でこのネットワークを支えているのがプロジェティスタという職業だというわけだ。
日本もイタリアと同じように中小企業産業を支えている国であるが、大企業がビジネス中核を担い、中小企業はそこに対して技術を中心に部分的なコミットをするという産業構造を持つ日本ではプロジェティスタは成り立ちにくい職業である。しかし、その発想は大いに参考になる。実際に、野田先生が提案されているのも、企業内において、ミドルマネジメントのロールとしてプロジェティスタを位置づけることである。
このプロジェティスタという形は、プロジェクトマネジャーのロールモデルとして非常に卓越したものではないかと思う。
PMIがPMBOKやPMCDF(Project Managemet Competency Development Framework)だけを提示していた時代は、プロジェクトマネジャーは独立性の強い仕事だという風に感じていた人も多いと思う。現に日本企業でPMBOKに関心を持った企業のほとんどはそのようなプロジェクトマネジャー観を持っていたと思われる。
しかし、それは米国においてもあまり現実的な姿ではなく、また、PMIの標準を見ていてもその後、プログラムマネジメントやポートフォリオマネジメントにおける標準、さらには、これらすべてを束ねるOPM3という組織成熟度の標準が登場するに当たってはだんだん、見え方もプロジェクトマネジメントは組織ぐるみで行うものだという方向に変わってきている。
つまり、ガバナンスのマネジメントをきちんとして、プロジェクトマネジャー、プログラムマネジャー、ポートフォリオマネジャーといった「ロール」に、「プロジェクトマネジメント」、「プログラムマネジメント」、「ポートフォリオマネジメント」という「ツール」を使ってプロジェクトを組織としてマネジメントしていくという合理的なマネジメントシステムを構築し、戦略実行をしていこうという考え方が明確になってきた。
このような価値観は、従来からある日本の価値観に合わない点が出てきている。大きな問題は2つあるように思える。ひとつは、プログラムマネジメントやポートフォリオマネジメントといった組織マネジメントが含まれてくる部分は日本型経営の強みであった。ここを標準化してしまい、競争の対象から外してしまうのは、あまりにももったいない。米国は違うが、日本企業はこの部分のマネジメントに付加価値の源泉があるからだ。
そもそも、なぜ、こういう話になっているかと考えてみると、戦略経営が必要だということに尽きる。では、なぜ、戦略経営かと考えてみると、これはいくつかの理由はあるが、最大の理由はグローバルな競争である。グローバルな競争のためには戦略が必要である。これは事実だと思う。
ただし、では、日本型の組織では戦略経営が成り立たないかというとそんなことはない。トヨタがなによりもそれを証明しているし、たとえば、京都には日本市場に関心を持たず、いきなりグローバル市場に出ていき、マネジメントシステムを構築している会社がいくつもあるが、そのような企業の経営を見ていても、日本型経営のスタイルで戦略展開している。要するにこの議論は、戦略を持つべきであるということだけが問題であるにもかかわらず、抱き合わせ販売のように戦略達成のマネジメントをそこに押し付けられているところにあるのは明らかである。
つまり、戦略を作り、戦略実行ができるのであれば、どのような形でも構わないことになる。
二つ目の違和感は、個人にとってのやりがいの問題だ。米国のマネジメントシステムはキャリアアップをし、たくさんの報酬を得ることを望んでいるという価値観を基本にしている。ゆえに成果主義がうまく機能する。余談だが、そこに飽き足らなくなってくると、社会起業のような活動を始める。
日本人はこれではおそらくやりがいを感じない。米国のような価値観を持っている人もいるが、その人たちも50歳くらいまでに価値観が変わることが多いようだ。では日本人は何にやりがいを感じるかというと、自分にとってのおもしろさであり、また、他人から感謝される(認められる)仕事である。従来から、生涯現役でいたいという人は多くいた。野田先生の著書の表現を変えると、生涯、一プレイヤーでいようという人だ。
ところが、成果主義の中ではこれは通用しない。野田先生の指摘するようにミドルまできて、プレイヤーである人はあきらめ感があるというくらい深刻な状況になっている。
ここでドロップアウトしたくない人は、マネジメントの仕事に入っていく必要がある。ところがマネジメントの仕事にやりがいを感じる人は多くないし、不安感のようなものがあるのだと思う。そこで、マネジャーではなく、プレイングマネジャーを目指す。
つまり、マネジャーの役割もするが、同時にプレイヤーという役割も果たすという人だ。部下を持ち、部下を使ったプロジェクトをいくつか同時にマネジメントするというスタイルで仕事をしているミドルマネジャーがこれだ。日本の企業が上に述べたように、日本型経営スタイルでなんとか戦略実行をできているのは、プレイングマネジャーの役割が大きいことも間違いない。
このようなスタイルで仕事をしている人は、野田先生が指摘するように「プロジェティスタ」に極めて近いし、逆に、プロジェティスタをロールモデル(手本)とすると自分たちの価値観を活かし、成果を上げることが可能になるのではないかと思われる。
以上のように考えてみると、プロジェティスタが日本の企業の中で普及していくことは、ミドルマネジメントが復活し、競争力をとり戻るために不可欠だと思えてくる。また、その意味で、プロジェクトマネジャーは次のステージとしてプロジェティスタを目指すというのがよいだろう。さらに、著者が「ひとつ上のプロマネ。」といっているものの、ひとつの実現イメージは間違いなく、プロジェティスタである。
ということで、しばらく、プロジェティスタというのを追いかけてみたい。
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