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◆はじめに
10周年を迎え、「センスのよいプロジェクトマネジャーになろう」というコンセプトを掲げて、イベントを行ってきた。一方で、この機会にと考え、過去のプロジェクトマネジャーや上位者へのインタビューデータなどを引っ張り出し、センスのよいプロジェクトマネジャーとはどのようなものかをまとめてみた。この活動の中で以前お会いして話を聞いたプロジェクトマネジャーの方で、印象深かった人には今回改めてインタビューをさせて頂いた方もいる。
10周年のイベントの一つとして連載しようと思ったのだが、やっぱり、クロージングイベントにとっておこうと思って連載は思いとどまり、1月26日(東京)、2月2日(大阪)のクロージングイベントで発表した。
その内容を中心に、短期連載をする。
◆そもそもセンスとは
センスのよいプロジェクトマネジャーになろうというコンセプトを打ち出したときに、そもそも、プロジェクトマネジャーのセンスとは何かという質問や意見を10人以上の人から貰っている。これについては、日経BPの谷島さんとのキャッチボールをした形跡もある。
ファッションのセンスという言葉のように、見かけがいいとか、クールであるといった解釈をし、プロジェクトマネジャーの仕事はもっと泥臭いものだと突っ込んできた人も一人や二人ではない。どうもセンスという言葉には、現場の泥臭さとは相いれない言霊があるのかもしれない。
実は、センスについてはコンセプトを掲げたときからかなり明確なイメージがあり、活動と通じて固まっていった感じだ。
◆センスの感じ方は人によって違う
センスといったときに、多くの人が真っ先に思い浮かべるファッションについて考えてみよう。ファッションのセンスがあるとはどういうことか。誰がみてもかっこよく、自分もあんな風に服を着こなしてみたいといったイメージだろう。もちろん、そのような評価は服だけに起因するものではなく、立ち振る舞い、言葉使い、など、外見にあらゆるものに起因する。さらにいえば、マザーテレサの有名な言葉に
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
(以下、略)
という言葉があるように、行動や言葉の内面には思考があり、それもセンスの良さとして認知される一つの要因になるだろう。
このように外観や内面で事象を上げていくとセンスがよいとはどういうことかは収集がつかなくなってくる。なぜなら、好川がセンスがよいと思う人と、この記事を読んでいるあなたがセンスがよいと思う人は違うかもしれないからだ。だから、ファッションセンスを語るときは語る人の影響力というのが意味を持ってくる。
これはどういうことなのか?少し視点を変えて、自分がセンスがよいと思う条件は何かと考えてみると、自分の期待にどれだけ合致しているかなのだ。人があの人はセンスがいいというときには、ファッションに限らず、自分の期待に応えているかどうかをみている。あの人はセンスいいなと思う人は、自分の(潜在的な)期待に応えたファッションをしたり、立ち振る舞いをしているわけだ。。
期待を持たない人はセンスという概念を持たない。
◆センスとは他人の期待に応えること
このように考えると
センスとは他人の期待に応えることである
ことだといえる。
だから、僕はセンスを問題にしている。プロジェクトにおける他人とは、メンバー、顧客、上位管理者、関係者などさまざまな人がいる。いわゆるステークホルダだ。センスのいいプロジェクトマネジャーは、これらのステークホルダの期待に応える。
瞬時にそんなことができるはずがないと思った人もいるだろう。その人はセンスがいいとは言いかねる。
これは後でも出てくるが、期待に応えることは「要求」に応えることとは違う。ここを混乱しているのだ。
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