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中世ドイツのキリスト教神学者マイスター・エックハルトが残した言葉に
人々がじっくり考えるべきことは、「何をすべきか」ということよりむしろ「どうあるべきか」ということだ。
という言葉がある。もっと古い時代には、老子は、
あるのは、やり方ではなく、あり方だ。
といっている。
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中世ドイツのキリスト教神学者マイスター・エックハルトが残した言葉に
人々がじっくり考えるべきことは、「何をすべきか」ということよりむしろ「どうあるべきか」ということだ。
という言葉がある。もっと古い時代には、老子は、
あるのは、やり方ではなく、あり方だ。
といっている。
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サムスンでは、目標や方針、戦略、計画を作る際に、2つのことを要求されるそうである。ひとつは動詞で表現すること、二つ目は具体的で測定可能な表現をすること。
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◆個人と組織
社会保険庁の記録改ざんで、「個人」と「組織」の線引きが問題になっている。社会保険庁に限らず、官民を問わず、この問題は微妙である。改めて組織とは何かと考えさせられる。
「組織で行う」というのは、組織の上位管理者が構成員(以下、社員と書く)に対して、業務命令を行い、社員が実行することを意味している。このロジックで考えると、命令がないのに、社員が「組織のために良かれ」としてやったことは、個人が勝手にやったことになる。
この問題が複雑なのは、その行為を管理者が知っているかどうかで話が変わってくることだ。知っていれば、正規の手続きを踏んでも組織として行ったことになり、知らなければ個人の行為だということになることが多いが、責任体制もそのようななっているかというと極めて怪しい。
◆権限委譲というグレーゾーン
この問題そのものは内部統制の強化で徐々に解決してきたが、依然として残っている問題は、この問題が原因になって起こっている権限委譲の問題である。権限委譲というのを明確な形で行っていないため、ここがグレーゾーンになって、結局、誰の責任か分からなくなっているケースをよく聞く。
プロジェクトマネジメントでもこの問題が出ている。プロジェクトマネジャーの権限を確認すると、「プロジェクトの運営に関するすべて」という答えが返ってくることが少なくない。「関するすべて」という言い方は日本では、「ケースバイケース」と読む。要するに、プロジェクト上位管理者の意向に反しない限り、認めるということで、これは権限委譲とは言わない。意思決定の代行をさせているだけである。言い換えるとサボっているだけである。ゆえに、丸投げといわれる。
◆現場のルールを決める際に、組織全体のルールを決める
統治者は自分自身の統治ルールを決めない。いざというときのために、統治に関するフリーハンドを残しておきたいからだ。これと同じで、組織が現場のルールを決めるときにはルールを課せられた現場に対応する自分たちのルールを決めない。自分たちの問題が発生したら、現場のルールを変えて対応しようとする。
現場のルールを決める前に、ルールの全体のデザインをすべきである。そして、抜け道を作らないことだ。ちなみに、プロジェクトマネジメントのルールを作るときには
・プロジェクトマネジメントポリシー
・プロジェクト区分
・プロジェクトマネジャーの権限
・エグゼクティブの権限
・ビジネスコミッティ、技術コミッティの権限
・プロジェクトマネジメント関係組織間の業務分担と連携
は最低限決めておく必要がある。
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「夢をかなえる象」の勢いがとまらない。テレビドラマ化されただけではなく、ドラマ化されるとまた、売れるという好循環モードに突入の様子。象という動物は頭のよい動物なのだろう。
さて、象でも違った話。サーカスの象の調教方法をご存知だろうか?小象の時分から、杭につないでおく。小象なので、杭を抜いて脱出しようとしても力不足でできない。象は成長し、成人象になる。当然、杭など訳もなく引き抜くことができる。ところが、杭から逃れることはできないという思い込みがあって逃げることはなく、おとなしい象になるという話。
これは、本で読んだ情報なので、真偽は分からない。
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解決しようのない問題というのがある。
この場合の「解決しようがない」という意味には、常識の範囲、合理性の範囲というスコープ定義が隠されている。
たとえば、提案したスケジュールの半分の期間でやることを要求されたとする。当然、即座にできないと答えるだろう。できないというのには、前提条件がある。
・通常のリソース確保の方法
・通常の(支援)体制
・通常のパフォーマンス
・通常のリーダーシップ
・通常の業務方法(開発方法)
通常といわれることに抵抗があれば、常識的と言ってもよい。
なぜ、人はこういう対応をするのか?話は変わるが、標準化の議論と関係がある。標準化というのは、「(成功)予測」を作り上げることである。このやり方でやればできるというのを定めることである(実際の標準はそうなっていないものが多いが)。
ところが上のような状況は、予測を求めてみても役に立たない。可能性を求めることが必要である。そこで、可能性を求めるというマインドセットのない組織の場合には、すぐにできないという判断をする。
実際に上に前提条件と書いたが、多くの組織ではプロジェクトを実行するにあたって、明文化するかどうかは別にして、上のような前提をおいている。言い換えると、プロジェクトマネジメントの前提だといってもよい。そして、組織はリスクマネジメントだと称して、この前提を何とか維持をしてプロジェクトを実施しようと躍起になっている。つまり、
・通常のリソース確保の方法でできるプロジェクト
・通常の(支援)体制でできるプロジェクト
・通常のパフォーマンスでできるプロジェクト
・通常のリーダーシップでできるプロジェクト
・通常の業務方法(開発方法)でできるプロジェクト
に仕立てようとしているわけだ。
それはそれでいいのだが、いくらリスクマネジメントを行っても不確実性そのものをなくすことができるわけではない。不確実性は減ることはあってもなくなることはない。
すると、上の前提条件が怪しくなってきて、プロジェクトが失敗する。こんなケースが少なくない。
ドラッカーが面白いことを言っている。
リスクをとらない人でも一般的には年に二つくらいの大きな過ちを犯す。リスクをとる人も、一般的には年に二つくらいの大きな過ちを犯す。
失敗(予測)ということに関してこんなものだとすれば、可能性にかける戦略というのはありうるし、重要である。
常識を重視するかどうか、合理性を重視するかどうか、可能性を重視するかどうかというのはマインドセットの問題であるが、おかしな議論をしている人をよく見かける。常識を重視し、そのようなマインドセットで構築したやり方を引き合いに出して、可能性を重視するやり方は危険であるといった議論だ(逆はあまり見かけないが)。
たとえば、冒頭に示した例を常識を重視する意思決定やレビューの仕組みを持つ組織で行っても必ず失敗する。議論するまでもない。無謀というものだ。
解決できないと思われる問題を解決できるプロジェクトは間違いなく、可能性を追いかけるのであれば仕組みが必要である。これだけプロジェクトの条件が厳しくなってきているのだから、仕組みを作りながら可能性を追いかけるというスタンスの組織が出てきてもおかしくない。全治3年という経済状況であれば、今がチャンスかもしれない。
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問題解決ブームである。本もたくさん売れているし、マネジャーも部下の問題解決力に強い関心を持つようになってきた。
あるSI企業の部長からこんな相談を受けた。2年くらい前に問題解決の研修をやり、問題解決活動(改善活動)を定着化させるためにアクションラーニングのプログラムを実施したそうだ。研修も、そのあとの定着化の活動も盛り上がっているそうだ。ただ、2年たってみると、思ったような効果がでてこない。数こそ多いのだが、その部長がかゆいと思っているところになかなか手が届いてこないそうだ。どうしたものだろうか?
問題解決法で難しいのは、手法の使い方ではなく、問題意識を持つことではないかと思う。問題発見のスキルを持っていても、問題解決のスキルを持っていても、問題意識が低ければ何の変化も起こらない。
出典は覚えていないのが、エニアグラムで有名な聖心女子大学の鈴木秀子先生が「問題解決の責任は問題に気づいた人にある」といっていたが、問題解決とほかの仕事の違いは、担当を決められる性格の仕事ではないことだ。かといって、リーダーがすべての問題に目配り、気配りをして対応できるという問題でもない。鈴木先生の言われるように気づいた人がやらなくてはならないのだ。
そこで問題になるのは、見つけれるどうかである。問題発見法というのもいろいろな手法があるが、どんな手法を使おうと、見つけることができるかどうかは、問題意識にかかっている。事故、不良、苦情があれば、問題を見つけるまでもなく、問題は見つかる。ところが問題が顕在化する前に問題を見つけるためには、高い問題意識が必要である。
人は、同じ状況におかれても、問題だと思うかは個人差がある。たとえば、10日間の仕事をしていて、4日目を終えたところで上司から「明日、1日、今年度の事業計画の修正検討をするので付き合ってほしい」といわれたとしよう。これを問題と捉える人と捉えない人がいる。
というと、残りの5日間で6日分の仕事ができる見通し(自信)があるかどうかの違いだと思う人が多いと思うが、そうとばかりはいえない。この段階では気にしないという人がいる。
なぜだろうか?
端的にいえば、10日という目標に対するコミットメントの問題である。当然だが、コミットメントが強い人は、問題意識が高くなる。ここで興味深いのは、これが8日目だとすれば、5日目より多くの人が問題意識を持つだろう。学生症候群という現象があるが、コミットメントは一定ではなく、締め切りまでの時間が短くなれば強くなる。こういう心理も働いているのかもしれない。
問題意識を高めるというのは、容易なことではない。よくトップが、「問題意識を持とう」という訓示をするが、「はい、わかりました」といって変わるような類のものではない。
したがって、変えるのは非常に難しいのだが、まずは、上にのべたように目標に対する強いコミットメント、言い換えると目標意識のようなものをもてるようにすることが先決であろう。目標に対するコミットメントは上に述べたように、時間的な要素があるので、計画により、できるだけ目標を小刻みに与えて、常にコミットメントを高い状態に保つことが必要である。
その上で、以下のような3つの行動習慣をつけるとよい。
・疑う習慣
現状把握に問題はないかと疑う習慣
・探求する習慣
疑いを払拭するためにさらに問題を追及しようとする習慣
・認識を更新する習慣
問題に対する認識を継続的に更新する習慣
これは、トヨタなどの継続的改善が定着している企業では必ずといってよいくらい、定着している習慣である。
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◆究極の議論
誰もやったことがないことなので、いつまでに終わるなどとはいえない
vs
プロジェクトなのだから、やったことがなくてもいつまでに終われというのがリーダーシップだ
みなさんは、どちらを支持しますか?
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ちょっと間が開いたが、再び、チームの話題。
◆どう作るか、何を作るか
今までプロジェクトは「どう作るか」を中心に考えられてきた。これは、プロジェクトマネジメントが云々というよりも、多くの日本企業は何を作るかという部分は捨てて、どう作るかにすべてをかけてきた。
ただし、この戦略は大量生産の元で有効な戦略であり、多様性が増す中で、いろいろな商品を市場に出し、一本被りを狙うことを常套手段とする市場では機能しない戦略であり、現在は明らかにそのような時代にある。
この図式は、コンシューマ向けの商品をやっているメーカでもっとも顕著であるが、どう作るかという文化にどっぷりと染まっているのはSI企業ではないだろうか?
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◆Xチームとは
先月、本屋さんで本を見ていたら、見慣れない言葉を目にした。「Xチーム」という言葉だ。著者はMITスローンビジネススクールの教授であるととにも、MITリーダーシップセンターのファカルティ・ディレクターである、デボラ・アンコナ。
それよりも目を引いたのが、帯。「学習する組織」のピーター・センゲと、「組織文化とリーダーシップ」のエドガー・シャイン。学習とリーダーシップのグルである。
Xチームとは何か?一言でいえば、つねに外部との接触のあるチームのことだ。詳しくは、このビジネス書の杜の記事を読んでほしい。
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◆ビジネスチームでは、1+1=2は理想
前の記事で、チームは2人で3人以上の仕事をする集団であると述べたが、これは本当にそうなのか?という問題を提起しておきたい。
1+1>2なのか、1+1=2なのかという議論はある意味、どうでもよい。ここで考えたいことは、ビジネスにおいては、自然な状態では
1+1<2
であるということだ。
創造性云々はともかく、プロジェクトチームで人数分のパフォーマンスが出ているチームというのはまず、お目にかからない。もっとも生産性のトリックで、1人の生産性を1人仕事の生産性より小さくしてしまえばそういうことはありうるわけだが、その場合その生産性の定義そのものが、1+1<2を前提にしていることになる。
だとすれば、チームの理想論のような浮ついた議論をする前に、如何に1+1を2にするかを真剣に考えるべきである。
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